1.ピカソの会社
「ピカソの会社」という表現を聞いたことはあるだろうか。
1人の天才が中心業務を行い、何人もの社員が助手として、その天才の手助けをする・・・という会社である。
この会社では、全体を把握しているのはその天才だけであり、助手はその天才が実力を最大限に発揮するための存在である。
1人の売れっ子漫画家に数人のアシスタントがついて、毎週質の高いマンガを世に送り出す・・・というのも、ピカソの会社の一例であろう。
小規模企業にとって「ピカソの会社」の形態は、実は最強の布陣である。
さて、それではピカソが惜しくも亡くなってしまったときは、この会社はどうなるのだろうか。
設計業を営む槌田デザインは、まさしくピカソの会社であった。
その高く安定した品質で、元請である工務店からの仕事が途切れることはなく、社長の槌田の評判を聞いて、仕事の依頼をする顧客もかなりの数にのぼった。
30名にのぼる社員たちの士気も高く、その繁栄は永遠に続くかと思われた。
そんなある日、突然の心筋梗塞で槌田はこの世を去った。
そして、専務取締役であった三原が跡継ぎの社長として迎えられた。
当初、槌田の妻であった春子が社長となる案もあったのだが、なにぶん春子は業務のことを全く知らない。そこで三原に白羽の矢が立ったのである。
しかし専務取締役だったとはいえ、ワンマンな槌田のこと、三原には会社の実状は何一つ伝えていなかった。
会社の借金が年間売上高に迫るほどの金額であること。
帳簿上の現金残高が実際の現金の20倍以上もあること。
槌田の飲み代をプールするためだけに存在する子会社があること。
仮払金の大半は、槌田の自宅の建築費にあてられており、会社に返済される見込がないこと。
愛人に使うカネのために銀行から借りていた金が多額に上ること。
受取人が会社名義である生命保険金について、妻には「受取人はおまえだ」と言っていたこと。 ・・・・etc
銀行からの強い要請で、会社の借入金の保証人は槌田から三原に書き換えさせられた。
社員たちは、社長が槌田から三原に代わっても、今までどおり一生懸命働けば何とかなると考えていた。
しかし、社員たちはそれぞれ業務の「部分」しか知らず、最も難易度の高い部分はどの社員も「そこが一番難しい」ということさえ知らなかった。
槌田の存命中、社員の完成品を槌田が受け取ると、槌田はそれをサッと眺めてチョチョッと手直ししていた。
その手直しした部分こそが完成品の価値を飛躍的に高めるものであった。だが社員には手直しした事実を伝えていなかった。
そもそもそんな事実を伝える必要すら感じていなかった。何しろ、その部分は槌田が教えて社員にやらせるよりも自分でやった方が、はるかに早くて高品質なのである。
そして、手直しした「その社員にとっては完成品」(槌田にとっては半製品)は別の社員に手渡され、そこでやっと完成品になるのであった。
もちろん、その完成品にもあとから槌田の手が加えられ、そしてやはりその事実はその社員には伝えられてはない。
槌田の死後、社員が「完璧」と思ってクライアントに渡した完成品が、クライアントの目から見ると「ずいぶんと品質が落ちたな」と感じられるものであったということは、当然のことであろう。
みるみる間に売上は激減した。
借金の負担が重くのしかかってきた。
単価を下げて売上件数を確保しようとしたが、結局、社員の忙しさが増しただけであった。
三原の「品質を上げなければ」という焦りも、自分の仕事が完璧だと思い込んでいる社員にとっては反感の対象にしかならなかった。
槌田の妻、春子は槌田の退職金として多額の金を要求していた。急な引継ぎだったので、わけのわからぬまま三原はすでに春子に退職金の覚書を書いていた。
保険金の受け取りをめぐって春子と激しい争いとなった。
愛人のマンションの修繕積立金の請求が会社に来た。
マンションを売り払ったところ、そのマンションは会社の資産に計上されていたので多額の売却損が計上された。
やむなく赤字決算にしたところ、銀行がカネを貸してくれなくなった。
給料が遅配した。
春子は毎日のように会社に電話してきて、誰彼構わず何時間もグチを言い続けた。
今の財務内容では払えるはずもない退職金の支払を求めて、春子が訴訟を起こした。
三原は、会社を引き継いだことを心底後悔している。
しかし、数億円もの借金の保証人となってしまっていた三原は、もはや会社から去ることもできない。